100年史について(2019.2.23第3回委員会追記)

■卒業生の組織の沿革をまとめることになった経緯

・編纂委員会事務局から、100年史の中に卒業生の組織の沿革についてまとめたものを含めたいというお話をいただいたことから、学園資料室の職員で事務局の67回生村上さんと相談しながら、卒業生会報と名簿からわかることをまとめてきた。

・会報は、卒業生会で保管されている一番古いものが昭和23年(1948年)で、それ以前の特に戦前期のことについては、学園本体との活動と一体となっていることが多く、分けることが難しいので、主に戦後の活動をまとめることになった。

■作業の内容

・会報1号ごとに記事の見出しを抜き出し、年表に書き入れ作成すること、組織の設立経緯や変遷、特色のある活動をとりあげてまとめること。

・作業をすることで、卒業生会の組織がどのような経緯をたどって今のような形になったのか、また会員自身にどのような学びや交流があったのか、そして関連団体など身近な社会に向けてどのような活動をしてきたか、などを読み取ることができる。

・資料として、卒業生大会の内容や大会礼拝での創立者や学園長のお話の内容、卒業生会の会費や人数の推移を表にしたものなどをまとめている。

 

■卒業生会の委員会の歴史

・卒業生会の組織の土台となる委員会が発足したのは昭和28年で、6回生から31回生の中から19人の委員で始められた

・当時の卒業生の総人数は1400人ほど、半数が東京在住。初めは、仕事の企画、経済、会報の3つの係に分かれ、月に1回集まっていた模様。

・昭和30年頃からは、料理講習会や手作りの洋服を製作して発表会をしたり、英文学の講義を恵子先生にお願いしたり、生活時間調べを一斉に行ない互いの近況を知ることから生活を励み合う、ということもあった。

・ミスタ羽仁のお考えで夏季学校も始められ、地方からも参加するなど、卒業後も学園とのつながりを持ちながら学ぶ意欲にあふれていた卒業生の姿が思い浮かばれる。

・学園への協力として、体操会の売店での販売は、わかる限りで昭和20年代には行われており、卒業生会セールや催し物なども、昭和36年の創立40周年の記念事業拠金という目的で始められた。その後もセールや催し物の収益金から協力会への寄付が続けられた。

・昭和20年代後半から30年代にかけては、卒業生の働きが友の会の活動と一体となっていることも多く、会報には友の会の家庭生活展や記念展覧会でのお手伝いの様子が載っている。

■卒業生の進路

・昭和29年発行の名簿には1回生から32回生までの氏名と住所の他に、当時の仕事や勤め先が載っていた。それによると、友の会、婦人之友社など関連団体の他、民間企業、学校、病院、国の役所など様々な仕事に就かれていたことがわかる。

・34回生が卒業した昭和31年からは、会報に進路がほぼ毎年掲載されている。これは卒業時点で決まっていた進路なので、その後変わられた方も多いとは思うが、昭和50年代までは「家事や家業の手伝い」という言葉があり、地方生などはご自宅に戻られてから、ご家族と相談してその後のことを考えられた時代でもあったと思われる。

・その後、学部が共学になる平成11年頃までは、クラスの1割以上が学園又は関係機関(生活団、工芸研究所、消費経済研究部、食事部、婦人之友社など)に就職するという年が続き、中には3割が学園関係という年もあった。

・34回生以降の卒業生全体を見ると、就職した人は全体の約5割、勉学に進まれた方が約4割、その中で専門学校に行かれた方が半数近くあり、多かったのは美術系と語学の学校。

このように、会報の1つの記事を連続して調べることで見えてくるものもある。現在は、卒業生の始めた事業である消費組合や工芸研究所、食事研究グループなどについての記事を拾いながら、それぞれの歩みをまとめる、という作業もしている。

■100年史の制作方法

・デジタル版と書籍版の両方で制作されることに決まった。

・デジタル版に関しては、全体の容量からみて卒業生会に関する部分がどの程度のスペースになるかはまだはっきりしていないが、とにかくコンテンツとして作成できるものを、ということで作業を進めている。デジタル版の公開については、一般の方に向けてのものと卒業生会内部で共有できるもの、という2通りで内容を考えている。

・書籍版については、「戦後の卒業生の活動」といった項目の中に執筆することになると思う。

 

こうした作業をするにあたり、過去を振り返り記録に残すだけでなく、今後の学園教育に生かせるものであってほしい、という市岡前理事長のお言葉が心に残っている。私達卒業生の歩みというのは、特色ある学園教育を終えた者としての社会に向けた活動そのものであり、100年史がこれからの学園にとっても重要な意味を持つものとなることを願って、作業を続けていきたいと思っている。(56 吉澤)

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