2018年度 男子部ホームカミングデー開催

体操会の翌週、静けさを取り戻し秋が深まる中で10月13日、男子部ホームカミングデーが開催。27回生8名、49回生10名、50回生12名が参加した。

10時30分の本鈴の後、羽仁吉一先生記念ホールで高橋和也学園長(40)、小山佳寬同学会委員長(48)から挨拶があり、男子部の幼方翼委員長(79)が礼拝を行った。
讃美歌の453番を歌い、聖書はマタイ伝18章1~5節を交読。イエスが弟子たちに「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」と説いた一節である。

幼方委員長は「規則正しい毎日に追われるだけでなく、生活が充実していると感じられるようになるために、趣味を持つことを提案します。好きなことがなければ、とりあえず何か始めてみればいい。好きなことを純粋に楽しみながら行うことが大事。そのためには童心に返り、頭で考えすぎず、したいことを楽しんで行ってほしい」と、パワーポイントの図解を交えて呼びかけた。各クラスの日番がその礼拝の感想を述べたが、何れも各人なりの飾らない言葉で前向きな内容だった。

礼拝後はOB各クラスから名前のみの自己紹介があり、49回生、50回生による講演が行われた。
加藤淳 さん(49)は学生時代のアルバイトをきっかけに飲食業の道を志し、近年は浜松町で日本酒バー、品川で長期熟成日本酒専門バーなど店長職を歴任。
これまでの道のりを振り返りつつ、いま日本酒、古酒は日本から世界に羽ばたける文化として最も注目されていると力説した。「学生時代は思い切り楽しむこと! 社会人になったら、充実することはいくらでもあります」と力強くエールを送る加藤さんに、生徒たちも親近感を持ったようだ。

質疑応答で「やりたいことがあっても時間やお金がないときはどうしますか」との問いに「自分だったら、寝ないで働く! そうすればお金が貯まるので解決ですね」と前置きし、皆さんなら例えば、本当に好きなことのためなら1時間早起きできるのではないか。好きなこと、やりたいことのために何ができるかを、自ら一生懸命考え行動することで道が拓けると強調した。
あたかも一杯呑みながら語りかけるようなテンションで、やや型破りながら誇りと情熱に満ちた姿勢は、生徒たちを多少なりとも鼓舞したのではないだろうか。

高木繁実さん(50)は「平凡なOBから現役の皆様へ」と題し、パワーポイントでプレゼンテーション。
在学時のエピソードとして、体操会の組立で「俵」が映し出されると、軽いどよめきが起こった(3年前の体操会で7段の俵を披露して以来、俵は行われていないとのこと)。

後輩へのメッセージとして㈱ピークパフォーマンス代表 平本相武氏の言葉を引用し、「やる気の素」は人によってさまざまだが、夢や目標といった山頂を目指すことでモチベーションを上げる「ビジョン型」、山頂は分からないけれども目の前の道を一歩一歩登ることに充実感を感じる「価値観型」の2種類があると紹介。
高木さん自身はどちらかといえば後者で、学生の頃から何かを目指すことが特になく、それで劣等感を持った時期もあった。しかし研修でこの話を聞いてからは、周囲との絆を重視しながら仕事に取り組むスタイルに自信が持てるようになったと明かした。

男子部で形成された価値観では「素直で本気」「嫌なことも逃げずにやり遂げる」「自治生活で学んだ責任感」「どんな小さなことでも任された以上やり遂げる」の4点を挙げ、講演を締めくくった。

昼食の準備中はクラスごとの控え室に移動し、自分たちが在学中に書いた生活日誌(日番日誌)を眺めながら歓談のひととき。12時半を過ぎる頃テーブルマスターの生徒に誘導され着席し、生徒とともに昼食をいただいた。自分のテーブルで一緒になった高等科3年生の2名は、たまたま父君が我々とほぼ同世代の卒業生ということもあり、親しみを感じつつ昔の出来事、最近の様子など話を弾ませた。

午後は体操館前で記念撮影の後、3人1組になって学園内を散策。案内役の生徒に説明を受けながら、2階が改修された体操館、パン工場跡地に建てられた新木工教室、グラウンド横の東天寮(以前は女子部清風二寮)、テニスコート脇の豚舎、記念体操館隣の生活創作館などを見て回り、思い思いに写真を撮ったりして過ごした。

また正門前に昨年開設された「自由学園みらいかん」の室内を初めて見学。約70年前から男子部生徒や学部生が植え、育ててきた海山の檜材が建物に、名栗の檜材が家具に使われていると説明を受け、創立者の高邁な志に改めて頭の下がる思いだ。

再び羽仁吉一先生記念ホールに戻って行われたお茶の会では、初の試みとして現役の男子部生徒も参加。
高等科2年生を中心に中等科1年から高等科3年まで10数名が、進路や卒業生の現在の仕事などについて質問したり、助言に耳を傾けていた。

歓談の後、昔の東天寮の映像を上映。1960年代に撮影された8ミリ映像(音声なし)を見ながら、山縣基先生(53)が木造の東天寮での乾布摩擦や雑巾掛け、集中勉強の様子を紹介していると、27回生から「冷暖房なし!」「近隣に住居がなかったので大声が出せた」との指摘が上がり、今日では考えられない環境に一同嘆息をもらした。

最初の学園紹介ビデオ(1989年)も上映されたが、これは50回生の出席者である柏原健一さん、三島正寛さんが高等科3年時に放送の係として撮影・編集したもの。現在しののめ茶寮となっている鉄筋寮舎での起床、清掃から登校、学校での生活ぶりまでを懐かしく鑑賞した。

その後27回生を代表し、大橋太郎さん、中林三平さんがスピーチを行った。大橋さんは「今でも年2回は皆で集まっており、非常に仲の良いクラスです。現在も男子部芝生に設置されている日時計のモニュメントは、昨年亡くなった同級の柿崎君がクイズで当てたもので、我々のクラスの功績だと思っています」とエピソードを披露。

中林さんは「昨今話題のAI(人工知能)が今のペースで進化していくと将来、人間が担うべき仕事を、かなり真剣に探さなくてはならなくなるでしょう。今の男子部の子たちが社会に出て何をすべきかは壮大な議論になりそうですが、それが良い方向を向いていることが大事。良いことをしたいという気持ちがあって、その中でコツコツやっていけば、AIに負けない人間が出てくると思っています」と述べ、これからの学園の教育へ期待を寄せた。
最後に高橋学園長、村山順吉理事長(32)より閉会の挨拶があり、男子部讃歌を斉唱して午後3時40分頃散会した。

男子部教室にもこの夏エアコンが完備され、東天寮には洗濯乾燥機が備わり、丸坊主はなくなりました、俵は行っていません、と聞くとつい「俺達の頃と比べて甘くなったなぁ」と言いたくなるが、ちょっと待てよ。
現在の高等科3年生が入学したのは2013年、ちょうど我々49回生の30年後である。では我々の30年前、1953年に入学した19回生の先輩方がもしも在学中の自分たちを見ていたら、どう思っただろうか。恐らくは「そんな生活態度で真剣に学んでいるつもりか」などと一喝された気がしてならない。晩年期のミセス羽仁・ミスタ羽仁から直接薫陶を受けた方々は、我々には想像できない厳しさを体験されてきたのではないだろうか。

そんな我々も今では会社や地域で要職を任されたり、家庭においては父となる年齢を迎え、息子や娘を学園に通わせている人もいる。男子部での6年間を振り返り、あの生活が今の自分にとって大きな礎となっていると改めて認識した。
そう考えると、今の男子部生徒が一見甘やかされているように見えても、彼らなりに悩み、自分の頭で考えながら取り組んだ日々があれば、それもまた将来の彼らの支えになっていくはずである。

49回生が男子部を修了する直前、元号が昭和から平成に変わり、今その平成が終わろうとしている。
自分たちが過ごした30年前から現在の男子部に至る変化を起点に、今から60年前、これからの30年後にも思いを馳せながら半日を過ごすことができた。

今回のホームカミングデーのため奔走いただいた教職員、在校生・保護者の皆さん、本当にありがとうございました。

広報室 森 春潮(49)

このWebはコンテンツを保護しています。