自由学園・村山新理事長よりご挨拶(2017/05/13 委員会追記)  

 

聖学院小学校で校長として何度も「主は人の一歩一歩を定め、みむねにかなう道を備えて下さる」という聖句で礼拝を守ってきた。その人にしか歩めない道がある。時には歩きにくい道かもしれないが必ず主から支えがいただける、ということを小学生に言い続けてきた。私も子どもたちと同じように踏み出したいと思い、任を受けた。いつかは自由学園の為にと思っていたので、そのような時が与えられたと思っている。

現在、世界が不安定な状況で、子どもの世界がないがしろにされている。少子高齢化で子どもはこれからマイノリティになる。彼らが彼ららしく自分たちのいのちを燃やし尽くして生きる場がどこにあるか。それは学校しかないと思っている。子どもたちのわがままに迎合するのではなく、子どもたちの存在をいかに大切にするか。

どこの学校も理念を持ち、カリキュラムを考え、一生懸命やっている。しかし自分たちの考える将来に子どもを当てはめてしまっている。大人の出す課題に一生懸命応えてきた子どもたちは社会に出た時に指示待ち人間になり、自分たちでモノを考えられないなら要らないと言われてしまう。私たちは、子どもたちにそういう思いはさせたくない。

3.11の時に家族を亡くした学生を目の前にして言葉を失った。しかし、そのような若人たち、絆から引き離された若人たちに、あなたのいのちはここにありそのこと自身がすばらしいこと、「自分のいのちを守る生き方」を転じて「自分のいのちを使い切ってゆく生き方」にここから変えていける、ということを教えることができるような学校、これからの学校はそういう学校でなければならないと思っている。

最近子どもたちが携帯電話やメールを使うようになり、子どもが変わったと言われている。しかし、子どもは変わっていない。変わったのは環境。順応性の良い子どもは変わらざるを得ない。現在は核ミサイルが飛んでくるかもしれないというような社会に私たち大人がしてしまったが、これからの世代の子どもたちにはもっと自由にもっといきいきした社会にして欲しい。

そのために何が大切かというと、自治。大人と子どもは文化が違う。だからこそ、子どもたちにこころを寄り添わせることが必要。決して同化することではなく、子どもの自治を支える。仲間と社会を作ってゆく経験が、子どもには一番必要。自由学園で自治を学んだ子どもたちが社会に出て理不尽なことがあった時に、適当に自分のいのちさえまもっていけばいいとはならないはず。何かおかしい、これを変えるためにどうしようか、自分のいのちの使い方をどうしようか、そこを考えられる子どもたちを育てたい。

自分を発見できぬまま進路を決めようとしても先に進めない。その子どもがその子どもらしく生きるために何が一番必要か。それを自分で発見する為には、自治が必要。本当に守られている中で、いろいろな思いをしながら、自分はどのように生きていったらよいか探し、見つけていける学校であり続けたい。

そのように子どもを育て教育していくということは、大人の生き方、我々がどう生き生き生きるかということが問われる。子どもたちを育てるということは、私たちの生き方に直に繋がってくることである。

高橋学園長とは毎日のように話し、どのような学校にしたいかという考えが合っている。卒業生の皆さんとも手を結び合って自由学園の為に尽くしてゆきたい。迎える100周年は、次の100年をどうするかという道筋がはっきりつくような100周年にしなければいけないと思っている。

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