2013年12月度那須農場復興支援のご報告

2013年12月度那須農場復興支援のご報告

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【那須農場看板作り】

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「農場の看板を新しくしたいんだよね」
11月の労働の際、幼方先生がそうつぶやいた。
いまの農場の看板は先生が那須農場に赴任された時に作成されたもので、それから長い年月、農場を訪れる人々の道しるべとして農場入口に立ち続け風雨にさらされ、すっかり色あせてしまったのだ。
 私が初めて那須農場を訪れたのは普通科3年の夏、農場主任を長く務められた大塚先生がお辞めになる前の年だった。当時、夏休みに農場で働きたいと言ったら、女子部教師室の先生方には「夏休みに普通科の子たちだけで農場で労働するなんて」と心配された。しかし担任だった井本先生、山田先生のお2人が「この子たちは、学年は小さいですけど体は大きいんです」と他の先生方を説得してくださり実現した労働だった。おかげで私たちは農場で大塚先生の指導のもと労働をした最後の女子部生となった。「労働をするなら最後まで責任をもってやりなさい。辛いからといって途中で投げ出してはいけないよ。」と言われた大塚先生の言葉は、社会人になった今でも心に残っている。
 翌年、幼方先生が農場主任に就任され、その頃から女子部生が農場で労働できる機会も増えた。私は友人と共に長期の休みには毎回のように農場を訪れ、那須の自然の中で自然の美しさと厳しさをたくさん感じながら過ごさせていただいた。私が助産師という職業を選んだのも、那須農場での生活を通して命に関わる仕事がしたいと思うようになったからである。長い学園生活の中で勉強が嫌になった時も、人間関係に悩んだ時も、変わらず自分を受け入れてくれる那須農場があったからこそ、私は学園生活を全うできたのだと思う。私にとって那須農場は第2の故郷と言っても過言ではないのだ。
 その那須農場が3.11の震災後、放射能問題をはじめ多くの課題を抱えていることを知ったのは去年の7月、久しぶりに友人と農場を訪れた時だった。敷地内の土を根気強く剥ぎ、埋め立てている話や、学生が以前のように那須農場を利用できなくなっている現状を聞き身近な被災地に心が痛んだ。自分に多くのものを与えてくれた那須農場に、今度は自分が何をできるだろうと考えていた。
 「農場の看板を新しくしたいんだよね。」幼方先生の言葉を聞いたとき、ぜひ看板製作に携わりたいと思い申し出た。こうして看板作りが始まった。
 12月の労働までに何案か下絵を作成し、メールで幼方先生に確認をとっていたが、いまひとつビビッと来るものもなく、農場入りする日となってしまった。仕方がないので幼方先生と話す中で先生の頭の中にある看板のイメージを実際に紙に描いてもらうこととしたのだが、先生が走り描きされたイメージ図が奇跡の企画書となるとは思いもよらなかった。
 「牛が真ん中にいて、子どもがこうして周りで寝ころんで本を読んだり、絵を描いたり・・・」説明を聞かなければとうてい読解できなかったが、先生が目を輝かせて語る看板のイメージは、以前学生や生徒、子供たちでにぎわっていた農場そのもののように思えた。大きな自然の中で、それぞれが思い思いに過ごせる農場。それはまさに学生時代にいつでも私を受け入れてくれた農場の姿でもあった。
 幼方先生がひっぱり出してきた板を、予定していた看板のサイズに切るところから始まり、幼方先生のイメージ図をもとに下絵描きを行った。普通科、高等科、学部と農場での四季折々の思いでを思い起こしながら描いていると、ギャラリーから「そこに足があるのはおかしいんじゃないか」「牛の頭と体のバランスがおかしいんじゃないか」とのご指摘。ありがたいご指導ご鞭撻のおかげで1日目、無事下書きが終了した。

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 翌日は早速色塗りにとりかかった。メインの牛と子どもが目立つよう、背景はシンプルに那須の青空に牧草地の緑。大きな筆で色を乗せていく作業は思いのほか楽しかった。こんな風に楽しいと思いながら絵を描くのはいつ以来だろうか。
 昼過ぎ、同学会の労働の方たちが到着し、事前に男子部の中川先生にお願いしていた切り文字が届いた。私が描いた絵の上に男子部生が作ってくれた切り文字を乗せるとグッと看板らしくなった。

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 途中、だんだん集中力が途切れ眠気に襲われ、細かい部分の作成に至っては投げ出したい思いに駆られた時もあったが、大塚先生の「労働をするなら最後まで責任をもってやりなさい。辛いからといって途中で投げ出してはいけないよ。」という言葉を思い出し再び筆をとった。子どもも牛も目を入れる時はとても緊張した。目は口ほどにものを言う、というが、まさに絵も目で表情のすべてが決まってしまうからだ。本職の仕事よりも真剣に仕上げた絵は何故か昭和の子供雑誌に出てきそうな顔になった。労働に参加した同学会の方や農場のスタッフの方々からも「昭和の香りがプンプンする絵だねぇ!」と笑われながら2日目、ようやく本体の絵は完成した。

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 3日目、午前中は宿舎の大掃除に参加。担当した晴耕寮の小部屋と風呂は、看板製作作業よりも投げ出したくなる汚さだった。宿泊棟の床や窓は他の参加者の方々の手によって見違えるようにきれいに磨き上げられた。たまにどこからともなく「オッセイ」の掛け声が聞こえてくるのも学園らしい。参加者からは「本気でやったら楽しかった」との感想も聞かれ、とても清々しい労働だった。大人になってから本気で何かに取り組む、ということは簡単なようで難しい。明日の仕事のこと、家庭のこと、自分が抱えこんでいるいろんなことを思うと、どこかで本気になることを恐れてしまう。けれど那須農場に来るとみな、何も恐れず本気になっていろんなことに取り組んでいたころに戻ったかのように大いに働き、大いに笑い、大いに食べる。大いに食べて膨れたお腹を抱え、看板を仕上げたのはお昼過ぎだった。
 この日の空は、看板に描いた空のように青く澄みきっていた。その空の下、農場の子供たちが元気に走り回る。この農場にまた、看板に描いたようにたくさんの子たちが訪れる日が来ることを願ってやまない。私ができることは微々たることに過ぎないが、少しずつでも農場と繋がりを持ち続けられればうれしいし、その一環として今回のような機会を与えてくださった農場の方々、同学会の方々に感謝している。

女子部83回生  波間 舞

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<12/21-22(土?日)労働内容について>
今回は、同学会員10名と学園関係者で総勢14名の参加となりました。
労働内容につきましては、波間さんによる農場看板制作。そして全員作業としては、
施設内年末大掃除(寮・食堂)、晴耕雨読米の発送作業、牛舎掃除等が中心となりました。

<那須農場支援:これまでの参加人数>
●今年度参加人数
*4月 同学会員18名 学園関係者9名  計27名
*5月 同学会員26名 学園関係者29名 計55名
*6月 同学会員19名 学園関係者12名 計31名
*7月 同学会員25名 学園関係者7名  計32名
*8月 同学会員16名 学園関係者5名  計21名
*9月 同学会員25名 学園関係者30名 計55名
*10月 同学会員18名 学園関係者14名 計32名
*11月 同学会員13名 学園関係者5名  計18名
*12月 同学会員10名 学園関係者4名  計14名
        **12月現在延べ285名が参加**
<今後の予定>
* 1月 有志による餅つき大会を予定
* 2月22?23日  2月度:那須農場労働支援
* 3月15?16日  3月度:那須農場労働支援

以上

震災復興支援室

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