二宮での羽仁先生係  30回生 西尾淳子

1951(昭和26)年の夏休み、私たち学部2年生の通学生は2人ずつ組んで、7日ずつ二宮に泊まり、羽仁両先生とご一緒に生活をしました。

午前中は、お掃除の後、海が見えるお部屋に座って、目がご不自由になったミセス羽仁に新聞を読んで差し上げることがありました。

スラスラ読めれば、少しは情報の伝達になったはずですが、難しい字が読めなかったり……ミセス羽仁のほうが大変な忍耐で、私どもに付き合って下さっていました。

午後は、「10円で行ける所までバスに乗ろう」とおっしゃって、平塚まで往復しました。
帰りのバスを待つ間に、好物でいらした畳鰯(たたみいわし)を買って来られました。この「10円で行ける所まで」という発想が、とても面白いと思いました。

夕食に卵豆腐が召し上がりたいとおっしゃった時には、自分で作ったことがない上、まだ冷蔵庫もなく、大変でした。まず棚にあった澤崎梅子先生の本と首っ引きで出汁をとり、卵を溶き、角型のお弁当箱に流し込んで、すが入らないように蒸したものを何度も水を替えて冷やし、やっとの思いで出来上がりました。

お近くで、いろいろよい経験をさせていただいたことを、懐かしく思い出します。

Entrance_7 道路から友情庵へ入る道(1)

Garden2_7 全景(2)

Salon_6 ミセス羽仁の書斎(3)

※(1)~(3)ともに2001年3月撮影

このWebはコンテンツを保護しています。